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小野田石材店
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お墓づくりとは Home > お墓づくりとは
墓相とは? 墓相は、科学的かつ現実的に考えましょう
仏典に「墓相」などは無い 墓は誰のために造るのか
肉体と霊魂    
墓相とは?
手相や人相、家相というように、お墓にも墓相があると考えて、墓の形、方位、石碑の質、色、環境など、いろいろな角度から吉凶を占うのが墓相学です。墓相学が登場したのは大正末期頃と言わ れています。 

墓相では、隆盛を誇った家が、いつのまにか傾いたり、あるいは家族に病人が絶えない、交通事故によく遭うというのは、「数年前に建てた墓のせいだ」などと言うように、いくつかの例を挙げて説明して います。 しかしこれら墓相の見方を信じるも信じないも人それぞれですし、人間は古来よりさまざまな逆境や困難に打ち克って進化してきたのだと考えると、あまり過去にこだわらずに明日への希望を託 すことも大切であると考えます。
墓相は、科学的かつ現実的にかんがえましょう
墓相に限らず、家相や風水などに至るまで全ての占いを信じていたら、家の改築のみならず、一日の行動もがんじがらめに縛られてしまいます。 

しかしながら占いや墓相というものは、人々の長い生活から生まれた知恵であり、ある程度の説得力はあるものと考えます。墓相にもいろいろな流派があり、石碑は青、黒、紅は凶相であるとする流 派もあれば、黒御影石こそ最良の墓石であると主張する流派もあります。 

暗いジメジメした陰気な墓に暗い色の石碑を建ててしまっては、一層陰気になるのだから凶となる、と考えることもできます。しかし現代の公園墓地での流行は、白から黒、青、赤などのカラフルな色が 好まれ、良質で重量感のある黒が圧倒的に人気があるのが現状です。
仏典に「墓相」などは無い
墓はどのようにして作るべきか、などは仏典には一言も触れられていません。ですので「墓の方位や形によってその家の隆盛などあろうはずがない」という仏教関係者も存在します。墓相を全否定するや り方もありますが、要は科学的・現実的な視点から考えて、最も常識に当てはまるものが吉相であるとするのがよいのではないでしょうか。
墓は誰のために造るのか
人類は太古の昔から墓を造り、祭事に強い情熱を傾けてきました。

古代より栄えた民族は、部落の連帯意識のもとに権力の象徴として巨大な墓を造ってきました。わが国でも、平安時代になると貴族などが富を集めて多くの寺院を建立しています。人間の歴史は、墓とともに歩んできたとも 言えます。 

特に私たち日本人は “ 墓 ” に対して独特の観念を持っています。埋葬された死者の魂(霊魂)の存在を信じるだけでなく、その祭りを通して祖先と子孫の繁栄を願い、「死」を念頭に置くことによって、「生」の充実を図っています。 人の心は弱いもので、祖先の霊のご加護を信ずればこそ、たくましい生命力と勇気とが調和し、希望に満ちた生活が送れるのです。墓は、死者と現世に生きる者の大切な対話の場所(接点)でもあります。
肉体と霊魂
「死」とは、仏教では、肉体の作用が停止する事であり、霊魂はこの寂滅した肉体(遺骸)を離れて浮遊し、四十九日間はその家の中でさまよい、やがて浄化されて軽くなり、極楽浄土に旅立つと教えられ、また信じられてきまし た。遺された肉体は、その根源である自然の中に速やかに還充されなくてはならず、肉体を離れた霊魂には祀りを通じて安らぎを与えなければなりません。葬儀も、墓を造って供養することも、古代より受け継がれてきたこの考え によるものであり、墓を造る上からも、これを根本に考えるのがよいのではないでしょうか。
 
墓地の地形方位 もともと墓は陰性なものであるので、陰陽調和を取ることが大切です。日当たりのいい東南向きが最良ですが、最近の公園墓地は、墓全体の明るさについて充分工夫を凝らしていますので、あまりこだわりすぎる必要はないで しょう。
墓域内の植木 植木は、大きく育つものは避ける方がよいでしょう。大きく成長して墓石や墓域を覆って暗くしてしまったり、木の根が、地下の納骨堂に安置してある遺骨の安静を邪魔してしまいます。
墓石 墓地に使う石は、陽明な雰囲気を高め、品格を備えるためにも白御影石で統一するのが望ましいとされています。しかし、現在は独自性のあるカラフルな色や形のデザイン墓が流行しつつあります。いずれにしても永遠普遍 で、かつ荘厳な品格を高められるように、硬く重量感のある材質を選びたいものです。 なお、墓は庭の延長ではありません。むやみに自然石を持ち込むのは避け、灯篭は実際に灯を灯せる供養灯が理想的です。石塔は花崗岩(みかげ石)や、安山岩等の硬質な石が自然の風化にも耐えて美しく、さらに台石 も含めて同じ石で統一するのも調和が取れてよいでしょう。
墓は記念碑ではない 故人の功績を、後々の子孫に伝えたい心情は理解できます。しかし墓はその人一代のものではありません。よく前衛彫刻や、芸術性豊かな墓、さらには故人の胸像まで建てた墓もありますが、これらは、後の人々の霊を祭る ときの邪魔にならないように留意することも大切です。たとえどんなに功績のあった方でも、墓は先祖代々の霊を祭る供養の場所であり、故人の霊魂は生前の個性(自我)を捨て、永遠なる仏に成仏するのですから、死後にまで 生前の意識を墓に持ち込むのは考え物です。記念碑ならば住まいの庭や公園などに造ればよいのです。墓には、墓誌にその人の功績を記す程度にしたいものです。
墓地に生命を 墓参りの際に墓石に水をかけるのは、墓石の汚れや塵を洗い流すためだけではありません。土に水が滲みこみ、埋葬された遺体が早く土に還れるように願いを込めて行われるのが本来の意味です。墓地の表面をコンクリート や石で敷き詰めたり、墓石に屋根をつけたりすることは、自然を拒否し、生命力の循環を遮断することになります。雑草が生えてきても、お参りごとにこまめに除草し、常に清潔にして先祖の霊と心の通じ合う場所にふさわしい、 生気ある雰囲気作りに心掛けねばなりません。